父との思い出
私は父と幼い頃よくバッティングセンターに行っていた。
2ゲームほど打ち込みアイスを買って帰るのがいつもの流れで、私は週末を心待ちにしていた。
ある週末、その日もいつものようにバッティングを終え「さて、なんのアイスを買おうかな」と考えていたところ。
「卓球やるか」
父が呟いた。
父は卓球部だったわけでもなく、卓球が好きだという話も聞いたことがなかったが、とりあえずやってみることに。
めちゃくちゃ上手い
なんかしゃがみ込んでサーブ打つし、子供相手にバックハンドばっか狙ってくる。
相手小4だぞ
これを機にいつもの流れに「卓球」というものが追加された。バッティングをした後なので、正直結構きついのだが同じ時期に世界卓球がやっていたこともあり、私は卓球にハマった。
しかし
父が全く倒せない
小学校の卓球クラブに入部し、月に一回学校中の猛者と試合を重ねている私がまるで歯が立たない。
クラブに入って半年ほどで6年生の部長をボッコボコにするまでに成長したのだが、一年経っても父には一度も勝つことができなかった。
それでもあきらめず挑戦を続けること半年。ついに、チャンスが訪れる。
なんとファイナルゲームに持ち込むことに成功したのである。(ファイナルゲーム‥ゲームカウント3-3になった場合の最終ゲーム)
いまだかつて、ここまで父を追い詰めたことはなかった。
父も当時はアラフォーでありスタミナを考慮した場合、小学生の私に分があることは明白。
「ファイナルゲームはミスを待とう」
この後ろ向きの考えが勢いにブレーキをかけた。
あっという間にマッチポイントを握られてしまったのである。
この時、私の頭の中では「父を倒す」ということより「なぜ子供相手にこんなに本気を出しているんだ」という怒りに満ち溢れていた。
そして禁断の戦略に打って出た。
「大人気な!!!子供に本気出して恥ずかしくないのかよ!!」
ラリー中に父を大声で非難した。
父はかなり狼狽えていた
それでも大声を出し続けた。
隣で卓球していた人はドン引きしていたし、多分バッティングセンターの大多数の人が注目していたが叫び続けた。
勝ちたい
ただその一心で
普通に負けた。
大声出し続けて卓球なんてしたことなかったし、声を出すことで無駄な体力を消費してめちゃくちゃ疲れた。
帰りの車内には変な空気が流れ、ラジオから流れる小田和正が心に沁みた。
その後も卓球は二人で良くやっていたし、父に勝つこともできるようになったが、中学に上がり部活に入ってからはバッティングセンター自体行かなくなってしまった。
あの時の父はどんな気持ちで私をボコボコにしていたのだろうか?
その気持ちは私が父になるまで知ることはできないのかもしれない
知らない駅で降りてみる【千歳船橋編】
「一回も降りたことのない駅で降りてみたい」という感情が爆発したので大学帰りにやってみることにしました。
今回やってきたのは千歳船橋
小田急線沿線の駅であり、準急が止まるそこそこデカい駅。あの「渡辺正行」さんも13年前に住んでいたそうです!
降りた瞬間めちゃくちゃ短い商店街が登場
”ちとふな商店街””というらしい 名前そのまま過ぎない?
と思ったら枝分かれしているタイプの奴でした
警備員めちゃくちゃ笑ってんな
商店街をしばらく散策
名前を間違えているクリーニング店
ちょっと高い一輪車
手書き文字で書かれているアイコス イカしてるぅ~
の横にコンドーム自販機
店主がお調子者の居酒屋
ヘアカット専門店「ヘアカット専門店」
すんごい小さい”まいばすけっと”
商店街を抜け小田急線沿いに大通りを歩いているとよくわからない看板が多発
「大」と「穴」と「吹」が混在している不動産店
ヨガなのに看板がフィギュアスケートっぽい店
漢字が読めない店
「び」だけ文字の大きさおかしいビューティーサロン
サインが書いてあるポスターを死ぬほど日焼けする場所に置いていた中華料理屋
その後も大通りを歩いていると
マジで一回も見たことない古本屋を発見
なんでも「全品50円」らしい 「いちご100%」買いたい
嘘でした
知らない駅で降りてみてわかったことは「降りたことがないから道がわからない」でした。やってみる場合はぜひ地図のアプリを入れといてください。
飲み会での失言
私は友人のK、H子、Y子の4名で飲み会をしていた。
飲み会も二次会のカラオケに会場を移し、誰かが歌うわけでもなく緩い感じで喋り合っていた。
しかし、楽しい時間は長くは続かなかった。
私は何かの拍子で「SM風俗に興味がある」と発言した。
それは「SM風俗かよ!」とツッコんだわけでもなく、飲み会でノリを履き違えた奴のように「俺〜〜こないだSM風俗行ったんだよね〜〜やばくね!!??」と言ったわけでもない。
ただ真っ直ぐに自分の願望が出てしまった。
「終わった」と直感で感じ取った。
何がかはわからないが確実に「終わった」のである。
しかし、ここは飲み会の場。 この発言により会話が止まることはなく、私は安堵し再び会話に参加した。
その2分後私はH子にビンタをされた。
SM風俗に行くことが確信に変わった。
発表でのかまし方
大学時代に所属していたゼミでは月に一度パワーポイントを使ってプレゼンするルールがあった。
1人20分 教授から提示された本を読み、改善点や自分の意見を発表するごく普通のものだった。
発表前日 台本を作り、パワーポイント、ゼミ生に配るレジュメ、全てを仕上げいつも通り布団に入った。
たが全く寝ることができない
何故だ?
何か物足りない
そんな時、心の奥底で1つの感情が生まれた
かましたい
一発かましたい
ゼミの教授に一発かましたい
気がつくと私は布団から抜け出しパワーポイントを見直した。
どこかに"かませる"場所はないかと
そして見つけた
ここだ
ここしかない
教授の度肝を抜く場所はここしかないだろ!
ハサミに「ご静聴ありがとうございました」と喋らせる
ギリギリ
本当にギリギリなラインを攻めたと我ながら褒めたい。
これが消しゴムや他の文具なら多分ギリギリアウトだろう。
ハサミという一歩間違えれば凶器となる文具に、丁寧な言葉を喋らせるというギャップによりこの絶妙なバランスは成り立っている。
「君は本当にユーモラスな男だな!」
そんな言葉を期待しながら当日、意気揚々と発表を行った。
普通に無視された。
見て見ぬ振りをしているとかではなく、本当に見えてなかったのかもしれない。
そう思わせるほど教授は華麗にスルーした。
そして、発表が終わると今度は教授からの質問に答えなければいけない。
完全に凹んでいたが、地獄は続く。
先ほどのスライドはこのパワーポイントの最後のスライド。すなわち、教授の質問に答えている間は永遠に表示され続ける。
滑り散らかしたボケが永遠に馬鹿でかいモニターに映され続け、ゼミ室は重苦しい空気が流れていた。
30分近い恥辱プレイから解放され、自分の席に戻った瞬間教授から質問が飛んだ。
「なんでハサミが喋っているんだ?」
俺もわかんねぇよ
伝わらない善意
電車に乗っていた時のこと
昼下がりの車内は人もまばらで、私の両サイドにも人は座っていなかった。
電車が停車し「あと何駅かな」などと考え、ふと前を見ると外国人の家族(3人)が乗ってきた。彼らは私を挟むように座り、父親であろう大柄な男性は私の前でつり革につかまっていた。
私が席を譲れば家族一列で座れる状況になったのである。
そうと決まればやることは1つ
席を素早く譲りさえすれば万事解決
席を譲る時の定番文句「よかったらどうぞ」と言う直前に脳が閃いた。
待てよ
言葉通じなくねぇか?
危ねぇ あやうく大恥を晒すところだった。
外国人に向かって日本語話すなどオリンピックが一年後に控えた我が国日本の英語教育が遅れていることを堂々と公言すると同義
ここはスマートに英語で席を譲らなくては
なんて言えばいいの?
「ここの席をどうぞ」を英語で??難易度Sじゃん。中学のとき通っていた英語塾の記憶を辿るしか…
supper(軽い夕食)しか出てこなかった。
英語で譲るのは諦めよう
言語はもう無理だ
ジェスチャーならどうだろうか?
手振り身振りで必死で伝えればなんとかなるだろう
スッと席を立ちその席を手で示す
これだこれなら行ける!
立ち上がろうと足に力を入れる
しかし待てよ
この行為の意味が外国人に伝わらなかった場合
闘牛士だと思われるかもしれない
そうに決まってる
赤い布を持っていないし、牛はどこにも見当たらないけれど、ジェスチャーは完全に一致してしまっている。
どうすればいい?
このまま目的の駅まで黙って見過ごせと言うのか
無理だ
譲るんだ
俺は絶対に席を譲る
「次の駅で降りちゃえばよくね?」
そうすれば家族は座れる、俺も電車は待つけれど晴れやかな気持ちになる
これしかない
次の駅に着いた瞬間私は席を立った。
降り立った駅は全くもって知らなかったがそんなことはどうでもいい
「日本、楽しんでけよ」
そう心の中で呟き発車する直前の電車を見た。
大柄の外国人は立ったままだった。
代わりにおばさんが座っていた。
エハラマサヒロによく似たおばさんだった。
遠い背中
大学二年生の秋ごろ、私は友人のサークルの飲み会に参加した。
友人とは高校時代からの付き合いで、当時から全くモテなかった私と馬が合い、常に行動を共にしていた。
そんな友人のサークルなんて「私たちと同じような奴らをかき集めたサークルなんだろう」と高を括っていたところ、驚愕してしまった。
まず会場が小洒落たテラスである。ここまではギリギリ良しとしよう。しかし、このテラスには致命的な欠陥があった。
「入り口が絶望的にわかりづらい」
緑豊かな田舎で育った私が渋谷の小洒落たテラスの前をウロウロしていたら100%職質されるに決まっている。そうに違いない。
入り口を探すのを諦め、二郎系でも食べて帰ろうかと思っていると、地下の階段から髪の毛が緑色の実写版SUUMOみたいなやつが現れた。
「奴」だ
間違いない
私とともに悲惨な高校生活を過ごした
「奴」だ
「奴」は小洒落たテラスに怯むこともなく私を招き入れた。
その後のことはよく覚えていない。酔いが回って記憶が飛んでしまったのか、はたまた「奴」の髪色に衝撃を受けすぎたのかは定かではないが、全く覚えていなかった。
「奴」の変わり果てた姿に不安と少しの劣等感を抱きながら帰路に就いた。
「奴」が変わってしまったのか
それとも
「私」が変わってしまったのか
仲の良い先輩
私には仲の良い一つ上の先輩がいる。
先輩と私は小、中、高と同じ学校であり、中、高では同じ部活だった。高校を卒業した今でも2,3ヵ月に一度は遊びに行き、当時と同じ関係性を保っている。
そんな先輩に対して一つだけ不満に思っていることがある。
こいつ全く奢んねぇのよ
いやほら「奢り」って後輩から催促するのなんとなくタブーな感じがあるじゃん?だからジーっと待っていたら7年が経過しました。庭に植えた柿の木はもうすぐ実をつけそうです。
ついに痺れを切らしたので、遊んだ帰り道に理由を問い詰めました。
ざわ「なんで奢ってくれないんですか?」
先輩「俺らってもう友達だろ?」
調子いいこと言ってんじゃねぇよタコ
こっちはいつまでも敬語使ってるし、電車の時間調べるし、ドリンクバーも取りに行ってるわ 後輩力なめんなよ
ざわ「後輩には基本奢んないんですか?」
先輩「いや専門の後輩にはバリバリ奢ってる」
謎ルール作んなやカスが
俺とその専門の後輩何が違うんだよ 俺のほうが仲良いし、先輩の性格だって分かってるし、歴代彼女の悪口だって知ってるんだからな。 先輩のことならなんだって知ってんだから
先輩「ここまで来たら奢んない方が面白くない?」
奢る奢らないに面白さはない
あと7000円貸して7ヵ月帰ってこなかったの今でも根に持ってるからな
先輩「小池(先輩の友人)にもスケットダンスの32巻も返してないしな」
32巻は最終巻だから早く返してあげて
小池さん一生結末わかんないから
その日の帰り道
先輩「今度専門のミスコンで最終候補まで行ったこと飲み会やるけどお前も来る?」
私は先輩に一生ついていく